学校紹介


 讃岐山脈の雄峰「矢筈山(788m)」に源を発し、清水川、地蔵川などを合わせて五瀬山(242.8m)東麓から鴨部地区に入る鴨部川は、鴨庄地区をほぼ一直線に北流して鴨庄湾に注いでいる。この鴨部川を中にはさんで水田の平地が広がり、その水田の東西に、南北に走る緑豊かな連山がある。
 東側の連山は南北に走る峰の東側に小田地区が広がり津田校区と接し、北は大串の鼻となって瀬戸内海に突き出している。西側の連山は峰を越えて志度湾に至るまで本校区に入り、小方・弁天地区での境界をもって志度校区に接し、南は高松自動車道高架橋周辺において神前校区と接している。
 東西両連山の地山は、大部分が花こう岩である。中央の平地は鴨部川によって形成された沖積地であり、表土は砂質土壌で農耕に適している。海岸は北の鴨庄湾も西の志度湾も遠浅の砂浜があり、アマモなどの海草がたくさん生えていて魚介類の生息に好適であるが、埋め立てられて志度工業団地として生まれ変わっている。
 総面積27.93kuのこの地は歴史も古く、山脇不動寺遺跡・大串長蛇が谷遺跡出土の土器から、すでに 2000年以上前から人々が住んでいたことが判っている。また、新田古墳や白方古墳の存在は、その後この地区に有力豪族が登場したことが理解できる。そして、菅原道真ゆかりの小田天満宮や目洗い石、おしゃべり地蔵等の史跡も数多く残されている。 その一方、本校区には、新田、新開の地名や○○淵などの地名がたくさん残っている。前者は新しく開かれた田、新しく開かれたところの意味を持つ地名で、いずれも江戸時代以後の埋め立てや開墾によるものである。淵のつく地名はかつて沼であった所であり、今も田の水源地となって残っているものも少なくない。このようにして平地の開発が進んできたのであるが、すべてが順調であったわけではない。昭和橋東詰めから少し北へいった鴨部川の土手には水害記念碑(明治17年の水害の記録等)が残っていて、水との戦いがあったことを今に伝えている。
 本校区は、このようにして昭和20年頃までは農業・漁業の盛んな所となっていた。しかし、最近では専業農家がだんだんと減少し、兼業農家も第一種兼業農家から第二種兼業農家へと移行している。漁業はかつて沖合漁業が盛んに行われ、真珠の養殖も行われていたが、昭和40年代後半には瀬戸内海の海洋汚染が進んで、魚が売れないときがあったため、主力はノリ、カキ、ハマチなどの養殖漁業に変わってきた。
 商業は、県道沿いが中心になっていたが、国道11号線が開通して、沿線に飲食店、自動車修理工場、スーパーマーケット等も進出し、新しく団地ができたが、児童数は減少傾向にある。
 平成19年4月、さぬき市教育委員会から出された「さぬき市学校再編計画」により、小田小学校、鴨部小学校、中央小学校の学校統合が決定した。その後、平成24年・25年に設置された統合準備委員会において、校名・校歌・校章等、新しい学校についての審議を経て、平成26年4月より「さぬき北小学校」としてスタートを切ることとなった。

校区

校歌

学校沿革


教育方針










































































































































































































































































































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